※第二章、未見です


 俺は俺だけでいられない


   012:息が止まるくらい

 灌木や土の盛りを蹴りつけて戦闘機が奔った。喬木の枝を薙ぎ払い戦闘機の形態を適宜変化させながら疾走った。時折装備している銃口が火を噴く。叩き潰そうとする敵機の腕を撃ちぬく。なまじ人型をしているから駆動部の守りは弱い。表現形態によってはこちらが不利な場合もあるが重心の低さで得られる安定と絶対的な数による加速を考え含めて突っ込んでいく。直角に曲がっている釘抜きのような武器を振るい、敵機は操縦者ごと撃破する。 それでもうまく開けた場所ばかりではない。衝撃で引きちぎっていてもその損失は確実だ。目に見えて破壊力が落ちていく。
 戦闘機の潜在能力は桁が違う。そもそも戦闘機が人型を成すか成せるかの時点で許容量に差がある。言葉を選ばないならある意味下請けと変わらない。原型はそれゆえに改良の速さと質が違う。リョウは舌打ちして操縦桿を繰る。地下組織の団体であった頃は考えられないほどの性能の良い戦闘機を与えられている。だがそのぶん、作戦や指揮系統さえもまったく変わった。つるんでたときは好きにできたんだけどな。深追いしようとすれば即座に通信が入って制止される。存在位置情報が伝達するから別動しているアキトからも通信が入る。
「うるせぇよ!」
リョウの指がパネルを叩いて位置情報を遮断する。アキトが呼びつける声を途中で切断する。
 眼の前に踊り出る戦闘機を迎え撃つ。
「いい度胸してるぜ」
はん、と鼻で笑うと情報発信を断ったまままで追う。捨てるつもりで振りかぶった一撃がかわされる。勢いや反動を殺さずにそのまま飛び込む形で前転するとリョウの機体があった位置に銃撃の火が走る。めり込んだ武器を支点にして踵へ装着されている車輪ごと戦闘機の胴部を蹴る。人型の戦闘機は基本的に肉抜きのされた無駄のない構造であるから操縦者がどの位置にいるかが比較的判りやすい。その不利を覆す機動力が、先を争って人型戦闘機を手に入れようとする動きだ。弱点を狙い打たれる前に撃破が可能である、というのは大きい。リョウも軽く銃撃をしながら後を追う。蛍光色の格子が走る表示画面を眺める。首を傾げた。リョウが追っている戦闘機はどうも大規模戦闘群から離脱しようとしているようである。破損や損壊による緊急信号はない。操縦者の生命に関わる事態が発生した場合、敵軍自軍問わずに緊急信号を発する。野垂れ死ぬより捕虜のほうがマシ程度のものであっても、設定をいじっていても反応を受信した側には表示の明滅などで変化が判るはずだ。意図的に孤立している。しかもそれも潜伏形態をとっているらしく後方支援さえない。
「サシかよ」
おもしれぇ。リョウは一気に踏み込むと加速を高めた。
 はたから見るとよく出来た舞踏のようだ。互いに攻撃を紙一重でかわし、その駆動や機動は機体性能を存分に活かしたものだ。四肢を伸ばし、折り、撥条を効かせた跳躍を見せる。張り詰めた緊張にリョウが焦れた。長引く戦闘は消耗も激しい。心構えもないから我慢が効かない。まずい。失策に気づいた瞬間、片腕と片足が相手の飛び道具で縫い止められた。修復不能。いくら操縦桿を繰っても反応がない。リョウの顔がみるみる歪む。くそ。性質ワリィな。スラッシュハーケンを忘れていたわけではないが執拗に逃走と迎撃を繰り返す中に使われていなかったから選択肢から消えていた。隠されていたカードを切られて技が決まり、リョウはあっけなく敗北した。操縦席が開く。自分を撃破した奴に二人も会うなんて。リョウの口の中に苦味が広がる。相手の戦闘機の照準はリョウが見えているように据えられている。リョウはあっさりと防御を解いて操縦席を開いた。岩を乗り越えるようにして戦闘機を下りる。地面に降り立つとたんにじわりと泥水が冷たい。相手を促すつもりで両手を上げてみせる。位置情報の断絶でリョウのいる位置は拡散して判らないだろう。しばらくはリョウ自身の判断で状況を切り抜けるしかない。
 相手も操縦席を降りてくる。珍しいな。ジロジロと眺める。長身の男だ。髪がひどく長い。頭部で結われている髪はそれでも腰へ届くばかりの長さだ。怜悧な容貌で腕力に物を言わせる性質ではない。見据える目が冷たい。温情が通じる相手じゃねぇな。
「なるほど。いい体をしている」
男が頭部を傾がせるたびに長い黒髪がサラサラ流れた。その艶は控えめでちっとも出しゃばらない。あくまで自然な艶と照りを見せている。髪を結う紐は紫苑に染められていて髪の黒さを際立たせた。翠碧の双眸は玉の艶で心へ突き刺さる。だがその姿は故意に不遜だ。相手に対する遠慮や怯みなどない。
「名前は? …あぁ、いらないな、そんなもの」
ぴったりと密着した専用着に包まれた指先がリョウの胸や首筋を移ろった。
「その顔立ち。イレヴンか」
穢れめ。嗤って吐き捨てられた言葉にリョウは男の顔面に唾を吐いた。わずかに背けて逸れたがリョウの唾は男の片頬を汚す。男は拭いもせず、口元を微笑ませたままでふぅんと言う。
「猿が。下賎な生まれが知れる」
胸ぐらを掴み上げなかった制御は褒めてやりたいくらいだ。堪えた分、隙が生じた。膕を蹴りぬかれてリョウの体が傾ぐ。その勢いのまま首を掴まれて地面へ叩きつけられた。打ち付けた背中に肺が軋み、喉が絞まる。澱を吐いて喘ぐリョウに男はただ冷淡なばかりだ。
 「ふむ。むやみに抵抗する馬鹿ではないようですね。立場をよくわきまえている」
ぎりぎりと喉が締めあげられる。かは、とかすれた喘ぎに爪を立てる。脱色でもしているのか…。興味深げな指先はリョウの髪を掴むと引っ張った。頭皮が攣れて痛い。顔を歪めるリョウに男はひどく嬉しげに口元を弛めた。男の指先は何度もリョウの腰骨の尖りや臀部の割れ目をなぞる。耐久性は問題なし。筋肉も骨も顕な損壊はない。男の手つきはどこか事務的だ。医者に診られているような錯覚を起こす。医者の手つきは患者の秘された患部を暴くものであるから思わぬ深部へ及んだ。リョウは殊更強く反発した。男の威圧感は暴力的なものではなく血統や地位からくるものだ。年頃も変わらないと思えばこそリョウの触覚が過敏にその威圧を感じ取った。
「力を入れるな。入らん」
男の白い手がリョウの裸の腰を抱いた。頸部から臍の下まで降りる留め具はとうに外されて、豆の殻でも剥くようにリョウの腰は抱き上げられた。
「ばっ――…!」
反射的に蹴りつけたり爪を立てたりしても男は退くどころかさらに腰を密着させた。熱く火照る刀身がありありと判る。言葉をなくして逃れようとずり上がるリョウの体を男の手が阻んだ。関節や骨ばった具合は明確に男であるのにその肌の肌理や白さは女性的だ。加えて長い髪がリョウの視界を狭めて暗渠を開ける。幕のように仕切られてリョウの視覚はほぼ役に立たない。しかもその髪さえも手触りよく絹の滑りで清流のようにリョウの頬を撫でる。
 男の手は乱暴にリョウの脚の間を弄る。おとなしい。怯えている? リョウの手が阻まれる前に男の頬を叩いた。白皙の美貌が赤黒く腫れていく。切れ長に憂う双眸はにわかにリョウを睨み上げると一切の手加減もなくリョウを叩いた。髪を殊更強く引っ張られる。ぶちぶちと切れる音と痛烈な痛みに顔を歪めた。男は手の中に残った鳶色の髪の房を気にかけるでもなく捨てた。
「人がいい。馬鹿なのか?」
噛みちぎられると思うほど強く胸の突起を噛まれた。脳内で燐光を放つ衝撃が繰り返される。指先を震わせて視界の白濁が去るのを待つ。その間に男はリョウの抜き身を掌握していた。しきりに舐めたり擦ったりする。
「ふふ、胸が張ってる」
男は嬰児のようにリョウの乳を吸った。


 「は、ふ」
肺を軋ませて息を吐ききる。茫洋と見えてくる視界の中で男はパイロットスーツの留め具を留め終えたところだった。
「早く起きる。そのなりで発見されたいならそれでも構いませんよ」
肘で絡まるパイロットスーツの留め具は一番下まで下りていて抜き身や脚の間は明瞭に蜜で濡れそぼつ。リョウはひどく体が怠かった。それでも動き出してスーツを装着する。自軍の更衣室やシャワー室を思い出す。ともに所属を決めた少年の追求があるかもしれないと思うと気が重い。リョウが目線をやると男はまだそこに居る。スーツの装着も終え、それでいてリョウに拳銃を突きつけるでもない。なんだよ。その時になって初めて吐きかけた唾がそのままであると気づいた。怜悧に整う美貌の中でそればかりが違和感を発する。怪我や傷は往々にして美貌を食うが、それほどの威力はないようで吐きかけたリョウばかりが居心地悪い。
 リョウのだらだらした動作にも男は怒るでもなく微笑った。
「性根が据わっている」
抱いた男の前でよく肌を晒せると嘯かれてリョウのとろけた思考は改めて現状を認識した。恥ずかしがっても遅い。却ってリョウは堂々とスーツを着た。引きつりや不具合も調節する。脚の間まで晒した相手であれば隠すような恥じらいは無用だ。
「自暴自棄というわけでもないようだな」
けっと吐き捨てるのを穏やかに眺める。既視感に流されるままにリョウは男を見据える。長い黒髪の紫めいた艶と真っ直ぐに垂れる長い髪。双眸は緑柱石の昏さと煌めきを備えて潤んで瞬く。皮膚は白く肌理も細かい。傷ひとつないそれは体液にまみれたことなどないと言わんばかりの育ちの良さだ。傷をつけたら残りそうな脆さと綺麗さだ。おまえ、どこかで。男はリョウの言葉を待たずに踵を返した。その背中で長い髪は尻尾のようにふさりと揺れた。
 男の戦闘機の反応が消えてから、リョウは自身の戦闘機の位置情報を入力した。片腕と片足は明確に破損していて黙って帰ることは無理だ。すぐにアキトの機体から応えがあって向かうと言う。しばらく待つうちに細い木々を乗り越えてアキトの機体が顕れた。操縦席を開いて立ち上がるアキトの細い体が視える。やられたな。うるせぇよ。アキトは手際よく引っ掛ける把手を装着したりしている。引きずってきた荷台へ戦闘機を積めという。動かねぇから呼んだんだぞ。独断専行の割に偉そうな口を利く。リョウがうぐぅと喉を鳴らして黙る。しぶしぶ乗り込んでは動く部位を使って荷台へ積んだ。操縦席から降りたリョウをアキトは渋い顔で睨みつけている。
「なんだよ」
「蛇のにおいがする」
草や土にまみれて抱かれたのだと思えば蛇と変わらない。知るかと吐き捨てる。戦闘機と一緒に荷台へ乗っかるリョウを確認してからアキトも戦闘機へ乗った。荷台は無理やり括りつけたようでところどころ歪だ。そういえば男の名前も訊いてない。戦闘機の外殻を覆う布を無理やり切り裂くと毛布代わりにする。ついたら起こせよ、寝るから。いい身分だな。疲れてんだよ。
 体を丸めると穿たれた空隙があらわになる。あの男に抱かれたのはどうやら間違いない。しかもその侵略は心地よいものだった。髪が一房だけ短い。弄んでから放り出す。
「蛇のにおいがする」
リョウは湿った空気を肺いっぱいに吸い込んだ。


《了》

やってみればやってみるもんだなぁ…          2013年9月22日UP

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